田野畑村

宿舎前の堤防

私の宿舎が昨日宮古市藤原という地域内の宿舎に決まりました。
津波被害を受けた地域ですが、堤防は崩れずに残っています。
その堤防の高いこと!4メートルはゆうにあります。
写真は宿舎前から撮った堤防です。
広島在住の私の感覚で言えば、刑務所の塀のようです。

魚菜市場

早朝、宮古駅近くに「魚菜市場」に立ち寄ってみました。
野菜と魚の朝市がおこなわれ、被災の悲しみを吹き飛ばす活気がすでにありました。
午前6時から18時まで。水曜定休。



すき屋並盛250円ですが…

地区委員会事務所近くの牛丼チェーン店「すき屋」は東北支援で並盛を250円で販売されていました。
私は健康のため「納豆朝食セット」を食べるようにしています。
味は広島にある「すき屋」のものと全く同じですが。

宮古地区への他県ボランティアで記念写真

埼玉、岡山のみなさんと顔を合わせるのは今朝が最後。
別れをしのんで記念写真をとりました。

日本共産党宮古地区委員会 支援者ブログ集

宮古地区の支援者ブログ集です。他にもあれば紹介して下さい。
●小出わたる埼玉県入間市
※「帰ってからアップしますから」とのこと
http://www.jcp-iruma.jp/html/menu09/index.html
●すます伸子さん(岡山)
http://angel.ap.teacup.com/1004/
●石村智子さん(岡山)
http://blog.goo.ne.jp/ishitomo2010
●さとうあやこ昭島市
http://ayapocky.blog.shinobi.jp/Entry/163/
大西理(広島)
http://d.hatena.ne.jp/jcposamu/

日本共産党田野畑支部会議に参加しました!


中村勝明村議が支部長をしている日本共産党田野畑支部会議に参加しました!
震災後初の支部会議です。
写真では明るい表情ですが、被害は深刻です。
中村議員の奥さんは「兄の家が流され、実家が半壊、姪宅が半壊。しばらく避難所に炊き出しに通いましたが体調をくずしました。80歳になる兄夫婦は今も体育館(避難所)でがんばっています」と話しました。
親を失った村の子どもたちの話もありました。
そんななか、全世帯配布した日本共産党中央委員会作成の「支援制度のしおり」NO.1NO.2は住民に大好評でした。
田野畑村は延期になった選挙も控えており、日本共産党公認の中村勝明村議は再選をめざしています。
支部では引き続き避難所、仮設住宅を訪問し住民の要求にこたえる活動を大切にすると同時に、党を大きくする活動にも正面からとりくむことを決めました。


田野畑の避難所「アズビィ体育館」

「アズビィ」って、意味わかります?
「田野畑弁で『集まり』のことを『あず(ぜ)び』と発音し、それを洋風にするために語尾を伸ばしたもの」(中村村議による)だそうです。
中村村議と一緒に私も「アズビィ体育館」に入りました。
昼間は仕事で主婦と幼児しかいませんでしたがお話を伺うことができました。
2カ月ですから、みなさん本当に疲れ切っています。イライラしないよう、小さな工夫をしながら生活されていました。
「とにかく情報がない。毛布の配布、就労支援など、必要な情報が来ない。人のうわさをお互いに頼っている状況。村は有線放送とペーパーでの情報の徹底をすべき」
「親戚を頼って在住している人はゴミをその地域から出せるのか」
「若い人はやり直しがきくが、60を超えた今、気力がわかない」
「体育館にずっと座っているのが不安。苦痛です」
などの声があり、中村村議が対応を約束しました。


なお、私にとって田野畑弁は特に聞き取りにくく、私に話して下さる時は私にもわかるように話して下さるので理解できるのですが、中村村議に話されている時は、半分くらいしかわかりません。
体育館を後にしながら中村村議に「何の話でしたか?」と聞いてしまう始末で、申し訳ありませんでした。

田野畑村羅賀トンネル付近の被害


トンネルは開通しているのですが中は真っくら
走るのが怖かった。

「ここから(ここまで)津波浸水想定区域」


田野畑に向かうため国道45号線を走っていると、あちこちに「ここから(ここまで)津波浸水想定区域」という看板を見かけます。特に旧田老町には数多く看板があります。
しかし、その「津波浸水想定区域」内に数多くの住宅が建設され、津波ではそのほとんどがなくなりました。
先日お話をうかがった崎尾宮古市議は「合併してから、サイレンや連絡が遅くなり、体制が薄くなったのは事実。くやしい」と唇をかみしめてらっしゃいました。