津波・震災さえなかったら…

ボランティアセンター(宿泊所)を探して

 18日午前は、田中尚宮古地区委員長と、公民館をボランティアセンターとしてつかえるようにお願いすると同時に、公民館がどのような場所なのか見に行きました。


旧田老(たろう)町の崎尾誠宮古市議宅

 夕方、宮古市に05年6月に合併した旧田老(たろう)町の崎尾誠宮古市議をたずねました。

ツナギを着ているのが崎尾市議です。
崎尾市議宅は下の地図を見てもわかるように、ほとんどの家が流された集落の中にあります。

大きな地図で見る
車の整備・販売業をされており、津波当日は間一髪、裏山に逃げ込んで一命をとりとめました。
この写真の軽自動車も新車でした。


宮古市最大の避難所「グリンピア」

崎尾市議の案内で「グリンピア」という宮古市最大(現在約680人)の避難所に行きました。

世帯ごとに段ボールで仕切られた中で生活されています。
高さは約150センチ。
私(身長183センチ)から中が見えてしまうので、目のやり場に困り、遠慮しながらの訪問でした。
崎尾市議は対話しながら22日に予定している「宮古復興まつり」のチラシを配布。
「行ってみようべ」「となりの人にも渡すべぇ」など、喜んでくださいました。

隣の運動場には仮設住宅が建設され、入居が開始されつつありました。
たまたま部屋を見せていただいた女性は98歳のお母さんがいらっしゃいました。
「昭和の大波(昭和8年)も見たけど、こんなのは生まれてはじめてだ」とおっしゃっていました。


最大津波観測地点(37.9m)、宮古市田老小堀内

森を抜けると突然スクラップの車が転がっている地点が。
最大津波観測地点、宮古市田老小堀内です。高さ37.9Mの津波です。
毎日新聞記事)
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110424k0000m040126000c.html

写真では「高さ感」が出ないのが残念ですが、がけ下をのぞきこめないほどの高さです。
「どこかから流された車が、また打ち上げられたんでしょう」と崎尾市議。
信じられない空間でした。


海面ははるか下のほうにあります。
まるで山がけずられたかのよう。


田老(たろう)の超巨大二重防潮堤

 田老の二重防潮堤にいきました。
 崎尾市議の御親戚も、ここで3歳のお孫さんを抱いたまま遺体で発見されたそうです。言葉もでません。
 1979年(昭和54年)、長さ2433メートル、高さ10メートルの巨大防潮堤は見る影もありませんでした。

堤防の内側も「何もない」ということ。津波の前はここで多くの住民が日常生活をしていたのです。広島の被爆直後の市内の様子と重なりました。


宮古民報」

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