「未来は私たちの手の中に」――沖縄県民大会での高校生の訴えを私たちはどう受け止めるのか

「厚さ6センチの窓。その窓いっぱいに見える飛行機の胴体。これが私たち普天間高校の日常の光景です。」
県民大会のでの岡本かなさん、志喜屋成海さん2人の高校生の訴え。
思慮深く、格調高いその言葉、一言一言に、心打たれ涙がとまりませんでした。


全国のおとなたちはこの訴えをどう受け止めるのか。
どのような日本を子や孫に残すのか、「しかたがないから」と考えるのをやめていないか。
正面から問われている気がしました。


「わくわくして登校した」彼女たちの瞳を曇らせてはならない。
彼女を「沖縄の異常をいつしか「日常」「いつものこと」と思ってしまっていた」ととまどわせた責任を感じなければならない。
彼女たちの訴えにどうこたえるか。


普天間基地問題は、日本全体の、未来の問題と重ねずにはいられません。
被爆ヒロシマで、日本の「対米従属の異常」を告発する力をあたえられたような気がしました。
「異常」を「日常」にしてはなりません。

岡本かなさん
 厚さ6センチの窓。その窓いっぱいに見える飛行機の胴体。これが私たち普天間高校の日常の光景です。
 私は2年前、あこがれの普天間高校に入学しました。とても、わくわくして登校したことをいまでも覚えています。
しかし、グラウンドに出れば、騒音とともにやってくる低く黒い影。授業中でも、テスト中でも容赦なくすべてを中断させる音。低空飛行する期待に向かって「うるさい」と叫んだこともあります。学校までの通学路はどこまでも長い基地のフェンスが続きます。早朝講座の始まるころには基地から上がる星条旗がみえます。
「あれ、ここって日本だよね、いったいフェンスで囲まれているのは吉なの、私たちなの?」。一瞬、考えてしまいました。日本にある米軍基地の75%がここ沖縄に存在していることをあらためて実感しました。
 そんな不安と違和感を覚えた1年目でした。入学から2年たち、私は自分が変化していることに気がつきました。そして恐くなったのです。ヘリコプターは相変わらず、頭上を飛び、騒音は鳴り続けます。「でもしょうがない」「いつものこと」と思う自分がいたいのです。
 軍用機がいつ、自分の上から落ちるかわからない日常。訓練が民間のすぐ横で行われている日常。基地や訓練が何のためにあるのか忘れた日常。危険を危険と感じなくなる怖さ。普天間高校で過ごす間に、この状況があまりに日常になって、私の感覚はにぶくなっていたのです。
 生活のなかに基地があること、沖縄のなかに基地があること、この問題をしかたがないから、と考えるのをやめていないか。わたしを含めて、いま一度多くの方に考えてほしい。みんなが、それぞれの立場で、もう一度基地問題に向き合ってほしいと思います。私たち一人ひとりが考えれば何かがかわる――そう信じて、私はここに立っています。


志喜屋成海さん
 戦後65年の間、沖縄のなかには米軍基地と何らかのかかわりをもちながら、さまざまな気持ちを抱く人がいるのもまた事実です。基地で働き生活の基盤をつくっている人、沖縄のさまざまな場所で反対運動をする人たち、辺野古の海岸で座り込みを続けている人たち、日本人だけでなく基地で働く多くの外国の人もいます。
 すべての人が一生懸命生きているからこそ、平和と基地、沖縄はいつも矛盾を抱えています。私には、それぞれの立場の人の考え方を判断するだけの人生経験がありません。でも、かつて、沖縄が琉球王国と呼ばれていた時代から、沖縄の人が平和を愛し、人と人とのつながりを何よりも大切にしてきたことだけはわかっています。この精神はいまも昔も変わらず、沖縄の人びとの心に刻み込まれているのです。私たちには、お互いに手をとり、平和を築ける力を持っている、と私は思います。
 だから、ただ現状に流されて「しかたない」と受け入れることで本当によいのでしょうか。私は純粋に素直に、この問題をみたうえで、やはり基地は沖縄には必要ないとそう思うのです。
 いま私たちの通う普天間高校では、大会をきっかけに、一人ひとりが基地問題について考えはじめています。そして、いま、この会場にも、県内外から多くの方々が基地問題をなんとかしたいという思いにつき動かされて集まっている。もちろんこの会場以外でも、それぞれの場所で今この瞬間考えている人がいると思う。
 この基地問題普天間だけでなく、沖縄県民だけでもなく、日本国民すべての人が自分の問題として考えてほしい。私たちの思いが一人でも多くの人たちの心に届くことを、心から願っています。
  ◇
 最後にふたりは声をそろえてこう発言を締めくくりました。
「未来は私たちの手の中に」

(「しんぶん赤旗」2010年4月26日付から抜粋)