今日は秋晴れの下、似島に宣伝に出かけました。


宣伝で訪問するのははじめて。
2時間半程度でしたが、島のみなさんは寒い中、暖かく迎えてくださりました。


2,3か月前、私は『似島 廣島ヒロシマ』(原水爆禁止似島少年少女のつどい実行委員会編)を手に、似島を自転車で一周したばかりでした。

原爆で傷ついた人々が救護施設を求めて似島に来たり、運ばれたりした話はこれまで聞いていたのですが、日本軍国主義がアジア侵略の拠点、「軍都広島」の一つの機構を担っていた似島の役割について、直接見たかったからです。
1895年、日清戦争を契機に造られた陸軍検疫所は1905年、日露戦争の際、第二検疫所と馬匹検疫所が増設され、兵士や捕虜の検疫がおこなわれました。
当時「世界最大」と言われた陸軍検疫所の面影は今はありませんが、当時使用されていた桟橋、弾薬庫跡、陸軍歩哨塔の面影は残っています。
ドイツ人捕虜を通じてのバームクーヘンの渡来やサッカー交流は知られた話ですが、
被爆の実相とともに、加害の歴史もあわせて、二度と起こしてはならない人類の教訓として後世に残すべきだと感じたものでした。
写真は以前に私が撮影したものです。
陸軍歩哨塔。少し山に入ったところにあるので、明るい日中に行ったのですが少し不気味でした。

第二桟橋跡。

原爆死没者慰霊碑(1991年)。似島にはまだ多くの無縁仏が眠っているといわれています。

陸軍燃料貯蔵基地跡