第48回広島県解放運動無名戦士追悼合祀祭

平和大通り広島電鉄江波線が交差しているところ、小網町交差点北東ブロックに「解放運動無名戦士の碑」があることをご存じですか。

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今日、「広島県解放運動無名戦士追悼合祀祭」が碑前でおこなわれました。毎年3月15日におこなわれます。
あいにくの雨でしたが、ご遺族も含め、たくさんの方が参加されました。


広島県解放運動無名戦士追悼合祀祭実行委員会」のパンフレットにはこの碑について、次のように説明されています。

 この碑は解放運動のなかばで倒れた先輩諸兄姉をとこしえに記念し、たたえるためのものです。
 この人々の輝ける偉業をうけつぎ不屈のたたかいを顕彰することは、日本の独立、民主主義と人権を守る闘いを励まし、ながく解放の礎となるであろうという日本国民救援会広島県本部の呼びかけにこたえ、広島県民各階層の絶大なる賛同のもとに設置されたものであります。
 建設資金は日本社会党広島県連合会、日本共産党広島県委員会、広島県労働組合会議、民主団体、県内外の労働者、農民、労働組合、県民有志の協力と募金によってなされ、三月十八日、パリ・コミューンの記念日に着工し、第三十四回統一メーデーの日に完成したものであります。
一九六三年五月一日 解放運動無名戦士の碑建設実行委員会

「解放運動」とは、社会進歩の事業、平和やくらしを守る、人類解放の運動のこと。
これまで原爆詩人峠三吉や、原民喜をはじめ、社会進歩と平和に重ねた人生を送られた984人(今年13人)の方が「合祀」されました。


私は日本共産党広島県委員会を代表し、次の「追悼の辞」を述べました。

 追悼の辞
 第四十八回広島県解放運動無名戦士追悼合祀祭にあたり、日本共産党広島県委員会を代表して、心より追悼の誠を捧げます。
故人のもっともよき理解者であり、ご生前に苦楽を共にされ、活動を支えてこられたご遺族のみなさまに、心からお悔やみを申しあげます。

 日本共産党は、創立以来「国民が主人公」の信条に立ち、つねに国民の切実な利益の実現と社会進歩の促進のためにたたかい、日本社会のなかで不屈の先進的な役割をはたすことを自らの責務として活動してきました。
戦前、呉海軍工廠での反戦兵士・阪口喜一郎をはじめとした侵略戦争反対のたたかい、戦後、原子爆弾による惨禍の中で、アメリカ占領軍のプレスコードのもとでの原爆反対運動、また反共の嵐が吹き荒れる中で大経営労働者の権利擁護のたたかい、地域住民の要求をまもるたたかいなどがそうです。
 
 本日の追悼合祀祭はそのような先達のたたかいの上に、日本政治の大きな変化の始まりという激動的情勢のもとで迎えています。
昨年の総選挙での国民の審判は「過渡的な情勢」と特徴づけられる「新しい時期」を開くものとなりました。
 国民が総選挙の審判にかけた思いは、自公政権によってもたらされた社会保障制度の連続改悪、貧困と格差のひろがり、平和憲法改悪の策動などの悪政にたいする「政治をかえたい」という強い願いでした。
新政権は「二つの異常」―「異常な対米従属」「大企業・財界の横暴な支配」からまだ抜け出すには至っておらず、国民は、くらしや平和の危機の大元に何があるのか、模索と探求の途上にあります。

本日ここに合祀される方々は、人類解放の事業の前進をめざし、誇りある生き方を選ばれ、平和と民主主義、社会進歩のために生涯を捧げられた方々です。私たちは、故人の意志を受け継ぎ、直面する参議院選挙で必ず勝ちぬき、人類解放の事業に力の限り奮闘する決意です。
 最後に、今日の合祀祭の開催にご尽力いただいた実行委員会をはじめ全てのみなさまに、心からお礼を申しあげ、追悼の辞といたします。

 ちなみに、今日、追悼の辞を述べたのは日本共産党以外では治安維持法国賠同盟広島県本部の片桐事務局長。
 「合祀祭」は広島のうたごえ協議会のみなさんのうたごえに包まれて雨の中、静かに、力強くとりおこなわれました。



碑のサイドには上記の刻印が。
正面の「凍てつく大地にあなたは種子となった」の書は、広島県党の創立メンバーの一人、古末憲一さんのもの。
「前田文二」さんの名前も憶えがあるなと県党史をひもといてみた。(〔〕は大西が補足)

 〔1931年〕9月末、〔日本共産〕党中国地方委員会が広島市宇品の畑の中で正式に発足(翌年2月広島地方委員会と改称)し、古末=広島市、岨=呉市、松本武司=国鉄、寺尾=機関紙の任務分担を決定した。まもなく岨は共青中央委員として上京、古末が中国地方委員会の責任者となった。
 発足直後の党はおりから始まった中国への侵略戦争に反対するたたかいに全力をあげた。
 9月下旬、党は共青、全協とともに青年行動隊員を組織し、広島市内で「満州出兵絶対反対」などのビラを前後10回にわたり配布した。
なかでも、年末の第5師団出兵にさいしては、前田文二、井口俊雄らが宇品港にむけて行進する出兵兵士の隊列にビラを投げこんだり、タクシーからまくなど、憲兵の目をかいくぐって細心な注意をはらいながらも大胆な活動を展開した。
(「日本共産党広島県党のあゆみ」より)

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